石炭と化学工業で栄えた中国・河南省の鶴壁(かくへき/ホビ)が、ピックルボールの一大拠点に姿を変えている。世界のピックル専門メディアWorld Pickleball Magazineが2026年9月15日に報じたところによると、この街には県・区・鎮・村・住宅コミュニティの各レベルにまたがって約1,600面のコートが整備され、延べ100万人以上が普及プログラムに参加した。資源に依存してきた地方都市が、なぜ一本のパドルとプラスチック製のボールに未来を賭けたのか。遊休地の活用や産業転換に悩む日本の地方にとっても、見過ごせない教訓がある。
起点は「中国のピックルボール都市」宣言
鶴壁が本格的にこの競技へ舵を切ったのは2023年のことだ。当初はニッチな遊びにすぎなかったが、行政主導で施設整備と普及プログラムを重ね、街は「中国のピックルボール都市」を名乗るまでになった。単にコートを敷いただけではない。地元では280人を超える競技レベルの選手が育ち、380人以上のコーチと審判が養成されている。競技人口の裾野と、それを支える指導・運営の層を同時に厚くしてきたのが特徴だ。2026年8月にはアメリカの10代24人が青少年交流で鶴壁を訪れており、国内の普及拠点にとどまらず海外との接点づくりにも動き始めている。
石炭化学の遺産が、そのまま競技の産業基盤になった
鶴壁の事例が興味深いのは、旧来の基幹産業を捨てずに新しい需要へつないだ点にある。People’s DailyやXinhuaの報道によれば、この街は石炭化学工業で培ったポリプロピレンの原料供給力を土台に、素材から高付加価値の用具製造までを一気通貫でまかなう産業チェーンを形づくった。ボールはプラスチック(ポリプロピレン)製で、パドルにも樹脂部材が使われる。化学工業の集積地とピックル用具の製造は、実は相性がよい。斜陽と見なされがちな重厚長大の資産を、成長市場の川上に読み替えたわけだ。
地元企業の河南格力体育用品(Henan Geli Sports Goods)は2024年に用具生産へ参入し、2025年のピックル関連売上は前年比5割増の2,500万元を超えた。2026年には5,000万元に達する見通しだという。1元を約23円(2026年9月中旬時点)で換算すると、2025年で約5.75億円、2026年見通しで約11.5億円にあたる。市全体では中国国内のピックル用具市場が2025年に18億元(約414億円)を突破し、今後5年間で年平均47%成長するとの予測も紹介されている。市全体の広がりと歩調を合わせるように、一社の売上も伸びている。
数字で見る鶴壁と中国のピックル市場
| 指標 | 数値 | 円換算の目安 |
|---|---|---|
| 鶴壁のコート面数 | 約1,600面 | — |
| 延べ参加者(鶴壁) | 100万人超 | — |
| 中国の定期プレー人口 | 800万人 | — |
| 中国で一度は体験した人 | 2,000万人 | — |
| 国内用具市場(2025年) | 18億元 | 約414億円 |
| 格力体育の売上(2025年) | 2,500万元超 | 約5.75億円 |
| 大会期の観光消費(2025年) | 1,500万元超 | 約3.45億円 |
中国全体では、定期的にプレーする人が800万人、一度でも体験した人が2,000万人にのぼる。網球(テニス)管理センター責任者の白喜林氏は、潜在的な競技人口は3,000万人に達しうると見立てている。同氏はこの競技の魅力を「三つの低さと三つの高さ」と表現し、参入障壁の低さや費用の手頃さを、社会性と健康効果の高さと並べて説明している。国のテニス統括組織が旗を振り、中国網球協会と共催する全国サーキット(China Pickleball Circuit)が動いている点も、普及のスピードを支える要因だ。
大会が街に落とすお金と、その連鎖
コート整備の効果は競技の中だけにとどまらない。2025年に鶴壁で開かれた全国選手権では、大会期間中の観光消費が1,500万元(約3.45億円)を超え、市内の観光施設への来場者は前年同期比で42%増えた。選手と同伴者、観戦客が宿泊し、食事をし、土産を買う——スポーツイベントが地域経済へ波及する典型的な流れが、資源依存からの転換を目指す街で起きている。プロ興行の側でも、PPAツアー・アジアやメジャーリーグ・ピックルボール(MLP)アジアが中国に足場を広げつつあり、MLPアジアの初年度には中国拠点のドラゴン・ウォリアーズが名を連ねる。MLPアジア初のドラフトで日本代表チームが動いた動きと合わせて見ると、アジア全体でプロリーグの座組みが固まりつつあることがわかる。
日本の地方は、鶴壁から何を持ち帰れるか
鶴壁のやり方をそのまま日本に移すことはできないが、抽出できる原則はある。第一に、既存の産業資産を新需要の川上に読み替える発想だ。化学工業の街が用具の原料と製造で稼いだように、日本でも地場の素材産業や加工技術を、成長するスポーツ用品の供給側へ接続できる余地は残っている。第二に、コートという「箱」だけでなく、指導者と審判、大会運営という「人」を同時に育てた点。ハードとソフトを両輪で回したからこそ、累計100万人という数字が現実味を帯びた。
日本国内でも、遊休空間をコートに変えて収益化を狙う動きは始まっている。受託資産5兆円規模の運用会社が競技に冠スポンサーとして参入した事例は、「使われていない空間をコートで稼がせる」問いに正面から向き合った試みだ。一方で米国では、過剰投資の反動からピックル施設が相次いで売りに出される調整局面も伝えられている。需要の伸びを追い風にしつつ、供給を積み増しすぎないバランス感覚が、鶴壁の勢いと米国の反動の両方から読み取れる。
市場への波及と、これからの見どころ
国内市場が5年で年平均47%成長するという予測が現実になれば、用具メーカーだけでなく、コート建設、施設運営、大会興行、観光まで裾野は広がる。アジアはいま、世界で最も成長が速い地域の一つだ。成長が最速の10か国がすべてアジアに集中し、日本もその上位に入っている現状を踏まえると、鶴壁の産業チェーン化は一都市の成功譚にとどまらず、アジア全体のサプライチェーンを塗り替える起点になりうる。素材の供給から興行の運営まで、どの層に日本の強みを差し込めるか。ここを具体的に描けた地域や企業から、次の商機をつかめる。
まとめ:次の一手
鶴壁が示したのは、「コートを敷く」ことよりも「街の資産を競技の需要につなぐ」ことのほうが本質だという事実だ。日本で同じ問いに答えるなら、まずは自分の地域にある遊休地・素材産業・指導人材を洗い出し、そのうちどれをピックルの供給側に接続できるかを見極めることだ。用具の原料、コートに使える空きスペース、教えられる人——手元にある資源の再定義こそが、資源の街が競技の都市へ変わった鶴壁の教訓である。

