タレントの優木まおみさんが、46歳で競技者を目指すと明かした。女性誌LEEのインタビュー(2026年9月6日配信)で語ったもので、生活の拠点をマレーシアへ移した先で握ったパドルに、遊びの域を超えてのめり込んでいる。40代半ばで生活の形を変えた人が、そこで見つけた一本のラケットに本気になる。芸能人の趣味話としてより、同じ年代でコートに立つ日本の愛好者に近い話として読める。
46歳で選手を目指すと明かしたLEEのインタビュー
優木さんは1980年佐賀県生まれ。2児の母で、2025年に娘2人を連れてマレーシアへ移り、現地での暮らしをLEEwebの連載につづってきた。夫は日本に残り、教育を軸にした二拠点の生活を選んだ。その連載の延長線上で語られたのが、ピックルボールへの傾倒だった。
本人の言葉は控えめではない。趣味として始めたものが、いつのまにか大会出場という目標に変わっている。「本気で大会出場を目指すようになるまでドハマりしていました」。46歳という年齢を、始めない理由ではなく、始めた事実の側に置いている点にこの話の芯がある。
マレーシアで握ったパドル、忘れられない打球音
入り口は音だった。「パドルでボールを打ったときの爽快感に魅了されました。『バコーン!』っていう気持ちのいい音がして」。穴の開いた樹脂ボールをパドルで弾く感触を、本人は羽子板になぞらえて説明する。テニス・卓球・バドミントンの要素を混ぜた米国発の競技だが、道具の重さもコートの広さも抑えられ、初めて握った日から球が返る。その一発目の手応えが、次の一本を呼んだ。
「『また打ちたい』『もう一回あの感覚を味わいたい』と思うようになって」と、優木さんはのめり込んだ過程を振り返る。ルールの理屈より先に体が動く。この入りやすさは、運動から遠ざかっていた大人がコートに戻る足がかりになる。
週8で打ち、体が引き締まった
熱の入り方は練習量に表れている。「仕事や子どものことで練習できない日・時間以外はもうすべてピックル!」。本人は頻度を「週8でやってます」と表現する。週の日数を超える言い回しは、朝と夕方で二度コートに立つ日がある、という意味だろう。
体の変化も具体的だ。「ピックルボールを始めてから体重がめちゃめちゃ落ちて。体が引き締まって」。ダイエットを目的に始めたわけではなく、打ち返す動きを繰り返すうちに結果がついてきた。左右の切り返し、前後の詰めと下がり、ネット際の細かい打ち分け。短い距離で止まっては動くこの反復が、中年期の運動として体に効く。
大会出場、視界に入った日本代表
目標は趣味の上達にとどまらない。優木さんは大会出場を掲げ、その先に日本代表という言葉も口にしている。ピックルボールは2032年のブリスベン五輪で採用を目指す動きがあり、競技としての入り口がまだ整いきっていない。裏を返せば、いま始めた人が代表の椅子を現実的に狙える珍しい局面にある。
46歳から代表を目指すという設定は、他の多くのスポーツでは成り立たない。競技人口が薄く、上位層がまだ固まっていない今だからこそ、後発の挑戦者に隙間が開いている。優木さんの宣言は、その隙間を言葉にしたものでもある。
40〜50代の女性がコートに増えている
優木さんの熱中は、彼女ひとりの話に閉じない。ピックルボールは走り込む量が少なく、膝や腰への負担がテニスより軽い。パドルもボールも軽く、身長や腕力の差がスコアを一方的に決めにくい。この設計が、運動の再開に踏み出しにくかった40〜50代の女性を引き寄せている。
子育てや仕事の合間に、短時間でも汗をかける。相手を選ばずダブルスで打ち合える。優木さんが語る「ただただ楽しい」という感覚は、勝ち負けの前に体を動かす喜びが立っていることを示す。競技の門はスポーツ経験の有無で閉じていない。
中年からの競技転向で結果を残す先例
年齢を重ねてからの参入が結果に結びつく例は、すでに日本人選手が示している。元テニス全日本王者の藤原里華さんは44歳でピックルボールに移り、国内外の決勝の舞台に立ってきた。東京オープンでは5-10の劣勢から7ポイントを連取して金を取り、深センの国際大会でも女子決勝で銀に食い込んだ。44歳の藤原里華さんが東京オープンで見せた大逆転は、40代の転向組が上位で戦えることの証拠だ。
ラケット競技で培った打球感やコートの読みは、パドルの上でそのまま生きる。優木さんが握ったのはテニスの延長にある道具でもあり、過去の運動経験が眠ったまま終わらない。中年からの再スタートが、遅れではなく蓄積の解凍になる。
テニス経験者が持つ余白と、日本の競技人口
母数の面でも余地は大きい。国内の推計では、テニス経験者の7割以上がピックルボールに関心を示す一方、実際の競技人口は市場規模に対してまだ小さい。テニス経験者の72.5%が関心を持ち、33万人市場に36倍の余白があるという数字は、優木さんのような転向が例外ではなく、これから続く流れの先頭にあることを示す。
優木さん自身、日本での広がりに言葉を割いている。「もっと競技人口が増えて施設も増えていけば、日本でも『ちょっと時間があるからピックルボールをしよう』と思えるくらい身近なスポーツになっていく」。海外で火がついた人が、母国の裾野を気にかける。この視点は、施設の少なさが最大の壁である日本の現状を突いている。
同世代の愛好者が踏み出せる入口
優木さんの話は、遠くの有名人の武勇伝ではなく、身近な一歩の後押しになる。始めるのに必要なのは体力の貯金でも若さでもなく、一度パドルを握る機会だ。自治体が用意する無料の常設コートや、初心者向けの体験会が各地で増え、道具を持たずに手ぶらで打てる場所が広がっている。茅ヶ崎市が予約不要の無料コートを設けたように、行政が入口を整える動きも出てきた。
40代、50代で運動から離れていた人ほど、最初の一発の手応えが記憶に残りやすい。優木さんが「バコーン」と表した音は、同世代がコートで自分の手のひらに感じ得るものだ。始める理由を年齢に求めない姿勢が、そのまま次に握る人への合図になる。
施設事業者が読み取れる需要の輪郭
コートを運営する側から見ると、優木さんの熱中は需要の形をなぞっている。週8で通う中年層は、平日日中の時間帯を埋める顧客であり、テニススクールが取りこぼしていた層と重なる。膝への負担が軽く長く続けられるため、退会率も抑えやすい。短時間で満足度が高い運動は、託児や隙間時間の需要とも噛み合う。
有名人の一言が競技を押し上げる局面で、施設側に問われるのは受け皿の準備だ。初めて握る大人が二度目に来たくなる導線、道具を貸し出す仕組み、経験の有無で気後れさせない場づくり。優木さんが語った「身近なスポーツ」への距離は、コートの数と入口の設計でどこまでも縮められる。彼女の46歳の宣言は、同世代の背中と、事業者の商機を同時に照らしている。
Sources
LEE「“46歳から選手を目指す”優木まおみさんに聞いた!今話題の『ピックルボール』の魅力とは?」
LEE 連載「優木まおみさん『マレーシア暮らし、人生の余白』」
サンケイスポーツ「優木まおみが将来の五輪有力競技・ピックルボールに沼る『羽子板みたい』日本での普及も目指す」
AERA DIGITAL「優木まおみ、娘2人とマレーシア教育移住10カ月」
